Thursday, July 12, 2012

松永さんのこと

こんな日が来るなんて思わなかった。

かつてビクターから、蕎麦をテーマにしたSOB-A-MBIENTというコンピレーションアルバムがリリースされていた。僕はそこに個人名義で1曲作曲しプロデュースをさせてもらった。

僕が作った曲は、アコースティックギターとベースと最小限のリズムだけの静かなダブをイメージしてアレンジしたのだけれど、曲を構想する段階でどうしてもお願いしたいプレイヤーがいた。それは元ミュートビートのベーシスト松永孝義さんだった。

僕は鹿児島でラグビーに明け暮れていた高校生の頃にミュートビートを聴いてのちのち音楽を始めた。東京に出てきたころにはもうミュートビートは活動していなかったけど、当時は朝から晩まで聴いていたくらい好きなバンドだった。

大学に入って小学生以来のトランペットを吹き始めていたので、もちろんミュートのトランペッターこだまさんの音は大好きだったけど、それに加えてあのバンドが僕にとって衝撃的だったのはベースだった。レゲエという音楽は他にも聴いていたものの、ワンフレーズであんなにインパクトのあるベースをそれまで聴いたことがなかったのだ。

だから、自分がプロデュースして好きなアレンジをしていい、と言ってもらえて、ギターとベースだけというアレンジを考えた時、まっさきにお願いしにいったのが松永さんだったのだ。ギターはアコースティック・ダブ・メッセンジャーズの吉田君に頼んだ。松永さんが快く引き受けてくれた時は本当に嬉しかった。

今から10年ほど前のその日のスタジオのことは実はあまり記憶がない。緊張してそうとう舞い上がっていたんだと思う。松永さんは淡々とやってきて、新米プロデューサーのトンチンカンなリクエストもサラリとかわして、レコードで何度も聴いていたように最高のプレイをしてにこにこと帰っていった。

帰り際、次はうちに遊びに来いよ、と言ってくれたことだけは憶えている。松永さんは僕らの古くからの友人と結婚したこともあって、その後もあちこちでお会いすることはあったけれども、結局家におじゃますることも、一緒にプレイさせてもらうこともなかった。

今から思えばもっと馬鹿のふりをして、ずうずうしく押しかけて行っていればよかったと思う。直に会った時は気はずかしくて、大好きです、尊敬していますとちゃんと伝えることもできなかった。

ただあの時にちょっとだけ勇気を出して自分のつたない曲で弾いてもらったことが、僕の一方的に贅沢な思い出になってしまった。僕は松永さんにたくさんのものをもらったのに、お返しすることは出来なかった。今頃になって思い出したように後悔しても遅い。自分の至らなさを思ってやりきれないだけだ。

松永さんありがとうございました。安らかにお眠りください。
いただいたたくさんのものは、何とかして誰かに返します。

坂口修一郎

http://www.youtube.com/watch?v=EbpDiVxaq0M