Friday, March 27, 2015

OUR PARKSにむけて


虎ノ門ヒルズで、「OUR PARKS〜わたしたちの場所をみんなでつくろう」というイベントシリーズの企画を森ビルの人たちと一緒に考えている。「わたしたちの公園」というコンセプトは、去年虎ノ門ヒルズが開業して、イベントの企画をお願いされた時に僕が無い知恵をしぼってサンフランシスコを旅行中に拾ってきた言葉を元に考えたものだ。

その意図は、国内外をあちこち出歩くうちに日本にはどうやら「広場」も「公園」もないんじゃないかということに思い当たったところからでて来た。音楽やイベントを企画することを生業にしているので、たぶん普通の人よりもイベントが開催できるような広い場所や公園に足を運ぶことが僕は多いと思う。ところが海外で開催されるイベントやフェスティバルなどを見ていると何かが違う。

日本にもいわゆる「公園」と名のつく場所はあちこちにあるし、「なにもない広々とした場」も街を見渡せば駅前やら高層ビルの足元にそこら中にある。でも、ヨーロッパやアメリカで見かける「広場や公園」とはやっぱり違う。そんな漠然とした違和感を感じてきた。

その違いとはそこで過ごしている人たちの居ずまいからくるもののようにも思われた。海外の場合は広場に集まることや公園でくつろぐこと、それ自体が目的で集まっている人がほとんどのように見うけられる一方、日本の「広い場所」に居る人々の場合、殆どはそこを通過するだけか、待ち合わせのために居るとか何らか別な目的を持っているように見える。あまり心からくつろいでいる人がたくさんいるようにも思えないフシがあった。

そう思って都市計画や街づくりの本などにあたってみてすぐに理解できた。そもそも「広場」というのは、ギリシャ時代以来の伝統のある西欧の民主主義を象徴する空間であって、その思想を輸入した明治の頃の日本人にとっては西欧への憧れを代表する言葉だったのだ。西欧で人々は教会や市庁舎の前に作られた広場に集まり政治に参加した。「広場」は単なる「空いた土地」ではなく、民衆が議論をするための「場」だった。

そこからもっと時代が下って「公園=パーク」が登場してくる。これはイギリスの市民社会が形成されてから生まれてきたものだ。こちらも市民の権利として、都市の中の良い環境や散歩したりして健康を保つ権利が主張されるようになって出来た。というより市民が積極的に獲得したものがパーク。

どちらも市民の側からの要望で出来上がってきたものだ。「空き地を広場に」し「公園を要望」したのは、王様でも都市計画家でもなくて庶民大衆だった。そんな歴史の経緯があるから市民はみんな広場や公園を、当然のように自分たちのものと考えてくつろいでいるんだろう。

そういう意味だとやっぱり日本にはちゃんとした広場も公園もなさそうだ。日本の都市の広い場所は、ほとんどの場合が都市計画家が様々な制約要因から都市の中にこしらえたものだからだ。みなどこか他人から与えられた場所という感覚があるから落ち着かないのかもしれない。

その場所はいろいろな体裁が整っていたとしても、広場でも公園でもない。やっぱり公園というのはそこに訪れる人々がわたしたちの場として自分で必要と感じて動いた時に初めて立ち現れるるものなのだ。ただの公開空地からわたしたちの場所=公園へ。パブリックプレイスからたくさんの人々の数だけ生まれるわたしたちの公園(アウアーパークス)へ。

というようなあちこち彷徨う考えを経て、これから虎ノ門に開かれた広場でアウアーパークスと名付けられた様々なイベントが始まる。イベントはあくまでもここがわたしたちの公園だと考えるためのきっかけだ。4月からは毎週日曜日にわたしたちの公園で朝ヨガが楽しめるようになる。

虎ノ門という街は周囲に世界各国の大使館や領事館があって、広場や公園と僕ら日本人より上手に付き合える人々が実はたくさん居住している。彼らと一緒にここがわたしたちの公園として楽しめるようになると、この街も国際都市と呼べる街になるのかもしれない。

そして、このイベントシリーズを伝える虎ノ門ヒルズが発行するフリーペーパー”OUR PARKS”も出来た。このタブロイドペーパーはOUR PARKSの開催に合わせていろいろな人が関わって編集して出来たもの。素晴らしい序文は岡本さんにお願いして書いてもらった。もうすぐあちこちで配布されるので見かけたらぜひ手にとって見てほしい。