Wednesday, November 9, 2016

プレジデント・オブ・広告代理店

まったく政治経験のない人間を、アメリカの国民が大統領に選んだっていうのは凄いことだけど、すこし考えるとそんなに驚きはないかもしれない。それは逆説的だけれど彼が政治家でなくてビジネスマンだったからだ。いまや政治家のキャンペーンを広告代理店が請け負うことは当たり前だから、クライアントとして代理店を使い慣れたビジネスマンが戦略的にプロモーションを進めてマーケットシェアを獲得した=大統領選に勝利した、と考えれば理解できないこともない。
彼は大統領になるという目的を達成するために有権者をクールにセグメントに分け、アメリカのマスである白人労働者階級にターゲットを定めた。そして彼らが喜ぶような刺激的な短いワードでウケを狙った。このやりかたはテレビで一発芸を披露するお笑い芸人の売り込み方と良く似ている。
「アメリカを再び偉大にする」というスローガンは、「日本を取り戻す」といって民主党から政権を奪い返した日本の安倍首相とも似ている。勢いだけはいいけれどそれで何を言いたいのかはまったく伝わってこない。そこに政治的な理想とか主義主張は感じられないどころか、その瞬間だけ盛り上がるパンチラインがあって瞬間の株価さえあがれば、むしろそんなものは必要ない。彼の主張からは低所得者層を救いたいというような社会的なメッセージは感じられない。ただ、彼らにウケればいいだけだ。アメリカ第一主義という内向きの主張はEUから離脱したイギリスとも重なる。これが自国の利益だけを死守したい資本主義的先進国のトレンドだから、このへんも世界的な消費者動向を的確に掴んだビジネスマンらしい戦略だ。
メディアに出る時にはイメージ戦略として代理店はスタイリストを雇う。強い主張をする時は赤いネクタイとか、冷静なイメージを作りたい時はネイビーのスーツに青いネクタイとか。その上でトランプにあの田舎のおっさんみたいな髪型や格好をさせていたのは、完全に南部や工業地帯の普通のおっちゃんたちをターゲットにしたからだとすると凄まじい戦略だと思う。トランプ自身は裕福な北部の出身なのに、狙い通りトランプを支持したのはかつての南北戦争で負け組に回って以降アメリカで虐げられてきた南部を中心とする白人層(当時の北軍側の東や西の沿岸部の州ではヒラリーが勝っている)だった。通ってしまえばそれでいいので、これからはあんなに過激な物言いは控えてエスタブリッシュメントにも一目置かれるるようにしていくだろうし、それに合わせてファッションスタイルも少しずつ変えてくるだろう。
あともうしばらくするとアメリカは有色人種の人口が白色人種を上回るといわれている。セレブ頼みだったヒラリーの戦略的な敗北(大統領選に出るまではトランプのほうがセレブ的だった)ということもあるけれど、この結果はマイノリティに転落しつつある白人層と、制度疲労をおこしてゆるやかに終わりに向かっているアメリカ資本主義の最後の断末魔だ。今回はただ端的にそこにうまくプロモーションした方が勝った。アメリカの政治に突然表れたゴジラは金髪でおかしな髪型をしていた。そしてマーケティングが世界一の超大国の大統領を作り出してしまった。その結果がこの世界にどういう影響を与えるのかはまだわからない。

Wednesday, February 10, 2016

No.9



国会の憲法改正の議論の中で、安倍総理が「(日本国憲法は)一部の左翼的傾向の強い思想を持つGHQのアメリカ軍人の手によって作られ、日本に押し付けられた(※)」という過去の発言に対して、これは政権与党の総意であり、この説明で国民は納得していると堂々と発言していた。

たしかに、今の憲法の草案は、理想に燃えた平和主義者が米軍内にいて、彼らと日本人も参加して短期間で作った草案を、アメリカは日本にプレゼントした。というのは概ね事実だ。

国会で安倍総理は民主党の論拠を「弱々しい」と退け、自らの論調を振りかざして論破しているように見える。確かに民主党の追求は弱い。改正するのしないの、思考停止だのという言葉はどうでもいいけど、どこをどう改正するかという細かい議論までなかなか踏み込めない。与党はそれはここで議論すべきじゃないと言う。じゃあどこで議論するんだろうと思うけれども、みんながジャケットの上から蚊に刺されたところを掻くように改正するしないと議論してるのは、最終的にはもちろん憲法9条のことのはずだ。憲法の成立過程は事実だとしてもよく考えたらすごい表現の仕方をするものだなと思う。そして、この堂々たる自信を裏で支えているのはなんだろうと思った。


いくら70年前のはなしだといえ占領国の憲法を、アメリカ軍内部の「一部の左翼的な思想」を持った人間が作って押し付けられたって、首相が国会で発信することなんだろうか。自民党は歴代の総裁たちも同じようなことは言ってはいたけどここまで直接的ではなかったように思う。安倍氏のいう左翼的なというのはニューディーラー(※2)の事を指していると思うけれど、左翼じゃ悪いのか?とかいったことは置いといたとして、「一部の」とわざわざ言うからには、これが当時もアメリカの総意ではなかったと言っているわけだから、真っ向から同盟国アメリカという国の正統性を否定している。そしてそれが自民党の総意だと言う。

もしこれが原子投下は当時の一部のアメリカの急進的な軍人が〜〜〜などと発言したら大変な事になると思う。アウシュビッツと並ぶ戦争犯罪をアメリカは未来永劫正当化しなければならないから、あれがアメリカの総意でなかったとは言えないからだ。

ところが平和憲法に関しては、逆に良いことをしてくれたはずなのに、なんにも言わない。長期政権をとった日本の総理大臣は間違いなく親米的であるのに、どうしてこういう発言が可能になるんだろう?と不思議に思う。(この件に関するアメリカの反応は僕が見落としているだけかもしれないけど、そんなに報道もされていないと思うのでその程度の扱いなのか…)。

つまるところ、10年近く前に出された安倍氏のこの発言のもとになる日本の憲法改正議論について、アメリカが大して問題にせず、スルーしているように見えるのは、そこにアメリカの一環したメッセージが隠されているからなのだと思う。

それは、「あの時は平和憲法なんて押し付けて悪かった。事情が変わったのだから、もうやめよう。憲法を改正して一緒に戦争に参加しよう。」というものだ。

70年前のアメリカは、単に占領政策を円滑にするために平和憲法によって日本を縛った。マグマのように恨みのエネルギーを溜め込み、復興を成し遂げたのち再軍備して立ちはだかってくることを避けるために、平和憲法という大義名分を「押し付け」ただけなのだ。結果として日本は、その後70年間一度も国家として他国人を殺さなかった唯一の先進国になったけれど、別にそこまでアメリカが望んだわけじゃない。

ところが、今のアメリカは日本にはイスラムと戦う有志連合に参加して欲しいと考えている。あの時と違ってアメリカは1国で世界の警察となることに疲れはてていて、経済力や技術力、潜在的な軍事力に長けている日本にはアメリカの戦争をフィジカルに応援してほしい。いまさら日本が共産化してアメリカに歯向かう心配は無さそうだし、第二次大戦後当時とは事情(敵)が変わったのだから、一日も早く日本は体制を変えて対応してもらいたい。

しかし、それが出来ないように縛られているのは、その理由が他でもないアメリカ自身が「押し付け」た憲法によるものだからだ。表向きアメリカがそれを改正せよとは言うわけにはいかない。さすがにアメリカが自分であの時のアレは一部の左翼的な軍人が作ったもので、などとは言えないからだ。思っていたよりも日本人が平和憲法を頑なに守るものだから、ちょっと困っているというのは言い過ぎではないのじゃなかろうか。

アメリカは賢いので、日本に平和憲法を押し付けたことの間違いをかなり早い段階から理解していたと思う。平和憲法まで作って縛り付けなくても、天皇制を護持してあげただけで、これまた意外と日本人はそれ以上の反抗をアメリカに対してしなかったからだ。

だから朝鮮戦争後の1955年(60年も前)には早々に自民党の結党を支援して(※2)政権につけた。あまつさえその口から当時のアメリカの悪口を言わせてでも憲法改正に後押しをしている。もしアメリカが今も憲法改正を望んでいなかったら、占領国日本の総理大臣のこのような発言がスルーして許されることはない。普通は抗議してくるはずだ。

自民党結党以来の悲願、憲法改正というのはこういう構造であって、安倍首相はそれをあたかも自分の信念のように語っているけれど、結局アメリカの本音を代弁させられているにすぎないんじゃないか。「日本人の誇り」とか言えば言うほど、釈迦の手の上で暴れる孫悟空のように見える。自分の国のトップのふるまいとしてはとっても残念だ。

安倍首相が言うように、憲法を自国民の手で議論して作りなおそうという意見には別に異論はない。けれども、彼が今がやろうとしていることは、実はあの時と同じで結局アメリカの望むかたちに日本を変えようとしているだけだ。今回は「押し付けられた」とは感じさせないように、巧妙に誘導されているだけなのだ。

日本の平和憲法は、当時のアメリカの政治戦略的な思惑と、その条文作成に関わった担当者の倫理的な理想と原爆の贖罪、そしてもちろん日本人の平和への希求、それらがたまさか一致して出来上がった世界史的な奇跡で、人類史上初の快挙(今のアメリカにとっては当時うっかり認めちゃった誤り)。これは今となっては日本にとってはとても幸運なことだったと考えざるを得ない。歴史の幸福なポテンヒットとでも言えるかもしれない。

だからこそこの構造は今は絶対に崩してはいけないと思う。安倍氏は「天から降ってきたものだから指一本変えてはならない、なんてのはおかしい」と言っているけど、9条の場合は幸運にも「天から降ってきたもの」だから、変えちゃいけないのだと思う。

理想論だけでは絶対にこんな憲法は実現しないのだから、一度壊したら今後もう2度とこのような状況が生まれることは考えられない。可能性があるとすると、先の大戦よりも酷いカタルシスの後にはもう一度こういうことがあるかもしれない。しかしそれでは遅すぎる。

すでに始まっている第三次大戦の世界にあって(というより、現在の紛争の種はすべて第一次と呼ばれている戦争の時から続いているので、最初の大戦から現在まで世界はずっと世界大戦状態だとも言えるけれど)いままで誰も経験したことのないような巨大な破壊はこのままだと目前の可能性も大いにある。

だから僕ら日本人には、平和憲法を70年以上も変えずに保持してきたモデルケースとして、この奇跡を今後も守り続ける義務が、未来の全人類に対してある。と思っています。

※1)雑誌『正論(平成1611月号)』での、安倍晋三氏(衆議院議員)、桜井よしこ氏(ジャーナリスト)、八木秀次氏(高崎経済大学助教授)の鼎談
“今こそ〝呪縛〝憲法と歴史〝漂流〝からの決別を”

※2)戦後日本の占領期において、GHQ民政局にはニューディーラーが多かったとされる。



※3)結成直前の1954年(昭和29年)から1964年(昭和39年)まで、アメリカ合衆国(以下米国、具体的にはホワイトハウスおよびアメリカ合衆国国務省)の反共政策に基づいて中央情報局(CIA)の支援を受けていたことが後年明らかになった[8][9]。(wikipediaより)

Thursday, September 24, 2015

強行採決について

彼らはなぜここまで強行にものごとを進めようとするのだろう。をぼんやり考える。

僕程度の普通(以下)の頭で考えてもおかしなことが多すぎる。逃げ切りで強行採決なんてもってのほかではあるけど、とにかく国会運営の劣化がひどい。与党も野党ももっと正々堂々とやればいいのに。子ども達も見てるんだから。

国民の理解が進んでいないということに関して、政権が説明責任を果たしていないという批判があるけれど、「法案が可決したら国民はそのうちわかる」というようなことを言っているくらいだから、そもそも安倍総理にはこの法案をこうまでして強引に進めなければいけない理由を説明をする気などなかったと思う。

国民の理解がなかろうと違憲だろうと突き進むのは、彼らにしか見えていない風景があって、それを国民に正直に説明しちゃうとまずいってことがたくさんあるからなんでしょうね。

戦後長きにわたって自民党と官僚が一党独裁体制の中でやってきた、もういまさら国民にしゃべっちゃうとパニックになるようなことはたくさんあるはず。そりゃもう、安倍家は祖父の代から絶対外では話せない、そんなものないことになってる密約とかワンサカあるんじゃないかな。

民主党政権の時にちょっとバレそうになったけど、政権を取り返してから作った特定秘密保護法によってこれからも明らかになることもない。 だから「日本をとりかえす」っていうスローガンだったのか。説明の仕方に問題があるんじゃなくて、そもそも説明なんて出来ないんでしょう。

ということなんで安保に関する十分な説明はこれからもされないのだろうと僕は思います。ただ、既成事実だけが積み重ねられていく。そして事実に対して反対することも難しくなっていく。というのが最悪のシナリオです。そうならないことを祈りますが。
戦争法案という言い方に対して、第2時大戦のようなことにはすぐにはならないと思うけど、テロとの戦いにはなっていくので、これから海外へ出かけるのはどんどん要注意になっていくのかと思うと…。

というわけで、国民の8割が納得してないまま法案だけが通ってしまったわけだけれど、8割ということは法案賛成者もいまいちよくわからないまま採決してしまったという状態です。

結局自民党は強行採決の根拠もそれに対する批判にもちゃんと答えていないけど、同時に法案賛成派にも十分な説明を与えていない。結果、安保法案推進派も情緒的、イデオロギー的に法案について賛成していても、論理的にこの法案の必要性を説明出来る人がほとんどいない、つまりは拠り所がどこか薄いままに支持しているということになってしまっているように思えます。違憲だという指摘に対して合憲性を誰もちゃんと答えられていない。

この法案に対する推進派と反対派のお互いに対するヒステリックな反応は、賛成派ですらなんでこの法案を通さなければいけないのかその根拠をちゃんと説明できないからじゃないかと思います。論理的に判断する足がかりがないから感情的にならざるを得ない。そしてますます議論が成り立たなくなる。行き先は揚げ足取りの水掛け論。子どものケンカみたいな強行採決。これが経済大国日本の国会かと思うと我ながらびっくりする。

与党と野党の間にも圧倒的な情報格差があるのだと思います。野党の反対のやり方がひどいという意見も理解出来なくはないけれど、そもそも議論をするために必要な情報がないわけだし、無いことになってる特定秘密を盾に争うわけにもいかないからどうしようもない。「秘密あるだろ!」って追求しても「ない!」で終わりですもんね。

そんなわけで争わなくてもいい人たちが、議論も出来ずただいがみ合うような風潮になってしまっていることはかなりひどいと思うけれども、逆にいうとこの政権のおかげで僕らがいかに「なにも知らされずにいること」にすら気づかずに、どれだけのほほんと暮らしてきたのか、そこにたくさんの人が気づき始めたという一面もあると思う。

歴代総理大臣はもっと狡猾だったからわからなかったことが、安倍晋三の明日なきゴリ押しでボロが出てきたとも言える。

今回の強行採決のゴタゴタで、日本の民主主義(と僕らが思いこんできたもの)は完全に破壊されてしまったけれど、そのことであたらしい世代の民主主義が目覚めるための怪我の巧妙になれば、、、。こんな劣化したやりとりは早くやめてここからでもいいのでとにかくちゃんとした議論をと願うしかない。

選挙権が18歳に引き下げられることは良いニュースだと思う。税収アップを狙った政府が、結果募穴を掘ることになるんじゃないかと思います。子どもたちは余計なしがらみなく大人の振る舞いを冷徹に見ている。そんなに馬鹿じゃない。

それにしてもアメリカには早く法案通せと脅され、一方で国民には言えないことがたくさんあって板挟み。一国の総理大臣がただ一介の中間管理職のようにしか見えない。またお腹が痛くなって仕事をほうりださないように。いやそうしてくれた方がいいのかもしれないけど。

まずはウィキリークス、いろいろ教えてくれ!という気分。

Sunday, June 28, 2015

政治の季節

百田氏という人のとても僕には理解できない発言を聞いて、夜中に考えたことのまとまってないまとめ。備忘録。長いです。

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日本国憲法9条って歴史的な古い建物に似てる気がする。かつての時代の気分で作られていてとても素敵だけど現代の時代からすると使い勝手は少し悪いのかもしれない。

雰囲気は良くても古いものがあちこち現代の生活に合わないという意見が出てくるのは理解できるし、何でもかんでも保存すればよいというものでもない。ただ、世の中には一度壊したら二度と作れないものはたくさんある。時代にあわなければ東大寺もピサの斜塔も壊してガラス張りの高層ビルにすればよいのかというとそんなことはない。

日本の憲法9条は国連(連合国≠アメリカ)に押し付けられたとかいう見方もあるけど、あの純粋無垢な青年のような理想論は、人類史上未曾有の人災としての世界大戦を経験して、みんながヘトヘトに疲弊した後で、こんなことはもう2度としてはいけないという戒めを元に、アメリカ人と日本人の共通の気分の中、あのタイミングだったからこそ奇跡的に実現した人類の理想の結晶だと思う。

日本国民が自力だけで作り上げていないという意味ではイレギュラーかもしれないけど、だいたい予定調和を超えたイノベーションなんてものは事故から生まれるものだ。憲法9条は幸福な事故。進化の過程に現れた突然変異。もう一度つくろうと思ってできるものではない。

そして日本だけでなく世界中のどこの政治システムにも、情勢が硬直している今あれ以上のものを産み出せるとは思えない。もしも改良できるならそれに越したことはないけれど、どうやってもそれ以下になってしまうことが予測されるのだから、であれば憲法9条は簡単に急に改変すべきではない。というのが僕の意見。

一時期、民主党がうだうだしてて「決められない政治」っていうのが問題にされてたけど、そもそも民主主義というのはみんなの意見を尊重しようとするのだからそう簡単にものごとは決まらない。人類が発明した政治システムの中ではもっとも効率が悪いのは明らかだ。効率を求めるなら一番いいのはひとりの人間の判断とトップダウンで決められる独裁制。

独裁の判断が正しければスピーディーだし一番いい。でも、独裁者が間違った場合、あっという間に全員で間違った方向に進んでしまう。国のように図体がでかいと、途中で「あれ、まずいかも!」と気づいてもいったん動き始めたらなかなか止めきれない。そうして70年前に日本は大失敗した。だいたい政治判断が正しいかどうかなんていうことは、その瞬間の同時期にはわからなくてある程度の時間が必要だ。

でも民主主義が機能していたら、基本うだうだしてるから失敗する時も緩やかで方向転換する時間的猶予、判断の正誤を判断する時間も生まれる。効率いい(決められる)けど大失敗するかもしれない可能性を取るか、効率悪い(決められない)けど軌道修正できる可能性を取るか。自分の国がどうなっていくかを考える時に、効率よくてもイチかバチかは危険すぎる。

そんな知恵から民主主義というシステムは地球上のあちこちで、ベストではないかもしれないけどベターなものとして採用されているのだと思う。でも政治ではなく、経済効率を最大限に重視する企業ではトップダウン型のシステムが採用されていることは多い。ハイリターンがあれば、ハイリスクでも構わないという考え方をするから。国の運営とは根本的に違う。

今の自民党政権を批判する時に、軍事独裁政治と直結させて危険という意見もあるけれど、その意味での危険性というかそこまでの意識も知恵も彼らにはないように思う。彼らはファシズムに走ろうとしているというよりも、ただ単に政治にも経済効率を適用していて、手っ取り早い数値的な見返りとして経済の成長を評価軸にしているだけ。だからこそ何も考えずに理念なく暴走している中坊的状況が生まれている。しかしよく考えてみればそちらのほうが危険とも言える。ハイリターンさえ見込めれば、ハイリスクでもいいと考えるから原発だって止めないし、アメリカに追従していたほうがリターンが大きいから基地だってやめないし、戦争にも加担しようとしている。それがどれだけ国民を事故やテロのリスクに晒すことになるか。すでに沖縄の人たちはそういう状況になっているのだけど。

なぜか中枢で調子に乗って政治を語ることになってしまっているエンタメ作家や、そのともだちの政治家たちから発言される言動から長期的なビジョンや理想はまったく聞こえてこない。かつての革命家とは違って軍事的な手法を使って「までも」実現したい理想というのは特にないのだろう。彼らから発せられるのはなんとかミクスというおカネ儲けの話しと、実際儲かってるるんだからいいだろという脂ぎった態度。そして他の国に腕力でナメられたくないというヤンキー的な防衛論ばかりだ。

そもそも嫌韓、嫌中論を唱えるヘイトスピーカーが政権与党の本部でマスコミ排除してまで気勢を上げて盛り上がってるなんて、となりの学校とのケンカの相談してる中学生以下だ。そういう人たちだけで憲法改正を議論されるととても困ってしまう。

ただ、だからといって彼らの論に感情的に反応してしまってはまずい。彼らなりのスジもあるし、こちらの考え方が正しくて向こうは間違っているというような対応のしかただと結局はケンカになって決裂するだけだ。戦争反対!ってみんな言いながらそのやり方が違うといって喧嘩(=戦争)してたら本末転倒以前のギャグにもならない。

僕は韓国や中国にいる友人達のためにもヘイトスピーチなど容認できないし、そのような発言を人前でする人は正直かんべんして欲しいと思う。ただ、品がなくても人は人。センスの無い軽口や、笑えもしない冗談の揚げ足を取ることもしようとは思わない。意見の違いも表現の自由も尊重します。

でも彼らが「勝手に」そして「急に」僕らの生活の根本を変えるのは容認できない。これは絶対的に時間が必要な判断であるにも関わらず、今の政府のやり方はあまりにも急すぎる。

二度と作れない人類の理想論を70年も守ってきた日本を僕はなかなか悪くないと思っています。しかし、今の安倍政権自民党とその同調党派がやろうとしていることは、敗戦(終戦ではなく負け戦)を否定して、100年近い単位で時代を逆行しようとする行為。

タリバンやイスラム国のやり方を、ショッキングな報道を見て野蛮だとみんな思っているかもしれないけど、日本人もほんの100年ちょっと前までは首刈りや切腹もしていたし、偶像破壊(廃仏毀釈)だってしていた。100年といったら僕らの爺さん世代は覚えてるくらいの時代感です。そんな最近まで日本も隣国を挑発しては武力でねじ伏せていた、ビーバップ・ハイスクールみたいな時代がかつてはあったはずです。

本当にそこに戻っていいのかどうなのか。僕はいやだなあ。そんな世界。
人類もいいかげんおとなにならないと。

Friday, March 27, 2015

OUR PARKSにむけて


虎ノ門ヒルズで、「OUR PARKS〜わたしたちの場所をみんなでつくろう」というイベントシリーズの企画を森ビルの人たちと一緒に考えている。「わたしたちの公園」というコンセプトは、去年虎ノ門ヒルズが開業して、イベントの企画をお願いされた時に僕が無い知恵をしぼってサンフランシスコを旅行中に拾ってきた言葉を元に考えたものだ。

その意図は、国内外をあちこち出歩くうちに日本にはどうやら「広場」も「公園」もないんじゃないかということに思い当たったところからでて来た。音楽やイベントを企画することを生業にしているので、たぶん普通の人よりもイベントが開催できるような広い場所や公園に足を運ぶことが僕は多いと思う。ところが海外で開催されるイベントやフェスティバルなどを見ていると何かが違う。

日本にもいわゆる「公園」と名のつく場所はあちこちにあるし、「なにもない広々とした場」も街を見渡せば駅前やら高層ビルの足元にそこら中にある。でも、ヨーロッパやアメリカで見かける「広場や公園」とはやっぱり違う。そんな漠然とした違和感を感じてきた。

その違いとはそこで過ごしている人たちの居ずまいからくるもののようにも思われた。海外の場合は広場に集まることや公園でくつろぐこと、それ自体が目的で集まっている人がほとんどのように見うけられる一方、日本の「広い場所」に居る人々の場合、殆どはそこを通過するだけか、待ち合わせのために居るとか何らか別な目的を持っているように見える。あまり心からくつろいでいる人がたくさんいるようにも思えないフシがあった。

そう思って都市計画や街づくりの本などにあたってみてすぐに理解できた。そもそも「広場」というのは、ギリシャ時代以来の伝統のある西欧の民主主義を象徴する空間であって、その思想を輸入した明治の頃の日本人にとっては西欧への憧れを代表する言葉だったのだ。西欧で人々は教会や市庁舎の前に作られた広場に集まり政治に参加した。「広場」は単なる「空いた土地」ではなく、民衆が議論をするための「場」だった。

そこからもっと時代が下って「公園=パーク」が登場してくる。これはイギリスの市民社会が形成されてから生まれてきたものだ。こちらも市民の権利として、都市の中の良い環境や散歩したりして健康を保つ権利が主張されるようになって出来た。というより市民が積極的に獲得したものがパーク。

どちらも市民の側からの要望で出来上がってきたものだ。「空き地を広場に」し「公園を要望」したのは、王様でも都市計画家でもなくて庶民大衆だった。そんな歴史の経緯があるから市民はみんな広場や公園を、当然のように自分たちのものと考えてくつろいでいるんだろう。

そういう意味だとやっぱり日本にはちゃんとした広場も公園もなさそうだ。日本の都市の広い場所は、ほとんどの場合が都市計画家が様々な制約要因から都市の中にこしらえたものだからだ。みなどこか他人から与えられた場所という感覚があるから落ち着かないのかもしれない。

その場所はいろいろな体裁が整っていたとしても、広場でも公園でもない。やっぱり公園というのはそこに訪れる人々がわたしたちの場として自分で必要と感じて動いた時に初めて立ち現れるるものなのだ。ただの公開空地からわたしたちの場所=公園へ。パブリックプレイスからたくさんの人々の数だけ生まれるわたしたちの公園(アウアーパークス)へ。

というようなあちこち彷徨う考えを経て、これから虎ノ門に開かれた広場でアウアーパークスと名付けられた様々なイベントが始まる。イベントはあくまでもここがわたしたちの公園だと考えるためのきっかけだ。4月からは毎週日曜日にわたしたちの公園で朝ヨガが楽しめるようになる。

虎ノ門という街は周囲に世界各国の大使館や領事館があって、広場や公園と僕ら日本人より上手に付き合える人々が実はたくさん居住している。彼らと一緒にここがわたしたちの公園として楽しめるようになると、この街も国際都市と呼べる街になるのかもしれない。

そして、このイベントシリーズを伝える虎ノ門ヒルズが発行するフリーペーパー”OUR PARKS”も出来た。このタブロイドペーパーはOUR PARKSの開催に合わせていろいろな人が関わって編集して出来たもの。素晴らしい序文は岡本さんにお願いして書いてもらった。もうすぐあちこちで配布されるので見かけたらぜひ手にとって見てほしい。









Monday, March 17, 2014

藤巻さんのこと

2010年。当時僕が所属していた会社トランジット・ジェネラル・オフィスの顧問をしていた藤巻さんから、あいつは地方に強そうだからということで、僕に新宿の伊勢丹の催事場を使った地方をテーマにしたイベントの企画をするようにと声がかかった。
当初の方向性としては鹿児島や九州のモダンな物産展がいいのではないかということになり、その最初の打ち合わせに呼び出されたのは2010年の大晦日。僕は藤巻さんからの強い希望があったのでランドスケープの中原くんに声をかけて一緒に新宿伊勢丹にその打ち合わせに行った。そこから何度かのやりとりを経て、まとめた企画のプレゼンをしに行く予定日は2011年の3月11日の夕方だった。
ところが2時過ぎにあの震災が起きた。当然その日のプレゼンは中止。その頃僕が手がけていた他のイベントもすべて中止や無期限延期になり、伊勢丹の企画自体も無くなったと思っていた。
改めて伊勢丹から連絡が来て、企画がふたたび動き出したのは震災からひと月以上経った頃。その時には僕は音楽家としてジェーン・バーキンとの出会いもあり今自分が東京でやるべき事は九州や鹿児島のことではないと思っていた。自分たちに出来る事が見えず悶々と考えていた時だった。
そんな時、益子でものづくりをしているみなさんが大変なことになっているという情報を中原くん経由で知った。直感的にそこに自分に出来る仕事があるように感じて、まず最初に益子の陶芸家の田村くんから現状を聞き、それから中原くん、編集者の柴田くん、田村くんとスターネットの馬場さん経由で僕は益子と笠間のたくさんの作家さん達に出会うことになった。
この出会いは最終的に2011年の秋新宿伊勢丹で「KASAMA∞MASHIKO展」という企画になり、この展覧会を、自分が所属していた会社を越えて中原くんのランドスケーププロダクツと一緒にプロデュースすることになる。笠間益子のみんなで協力して作り上げた、新宿伊勢丹のKASAMA∞MASHIKO展は展覧会としては大成功に終わり、その後僕がランドスケーププロダクツに合流する流れのひとつになった。
展覧会が終わった後、別件で藤巻さんにお会いした時に結果を報告したところ、心から嬉しそうにしてくれた。どれくらい嬉しそうだったかというと、その場で知り合いだという笠間市のある茨城県の副知事の携帯に電話をかけて電話越しに僕を紹介してくれたくらい喜んでくれたのだった。
僕は当時の所属会社ではマイペースに粛々と仕事をしていたので(今でもそうだが...)藤巻さんからお褒めの言葉なんていただいたのはこれが最初で最後のことになった。
この展覧会をきっかけに僕は益子と笠間に通い詰め、この地に今も続くかけがえのない友人がたくさんできた。その友人たちの多くを紹介してくれたスターネットの馬場さんは昨年亡くなった。
そして昨日、僕がそれまでなんの縁もなかった益子と笠間という街に向けて狂ったように走りだすそもそものきっかけを作ってくれた藤巻さんが突然帰らぬ人となった。不義理が続きここ最近の体調など全く知らなかったので、青天の霹靂とはこのことでいまだよく分からないでいる。
あの時藤巻さんからの理不尽なくらいのキラーパスがなかったら、僕に益子や笠間の友人はいなかった。今ここにもいないかもしれない。彼にとってはささいなバタフライ・エフェクトのような話しかもしれないけれど僕にとってはとても大きな蝶の羽ばたきだった。改めて本当に感謝しています。ものすごいスピードで走り続けた54年だったのだろうと思います。ゆっくりお休みください。ありがとうございました。

Friday, January 11, 2013

音のいない世界で

まだギプスに固められ鈍く痛む重い足を引きずりながら新国立劇場へ行ってきた。新国立へ行くのは2010年に近藤良平さんのダンス公演に参加させてもらって毎日通っていた以来のような気がするから丸3年ぶりになる。

観てきたのはやはり近藤さんが出演している舞台「音のいない世界で」。近藤さんは先日イワトの僕らのライブに来てくれた時この舞台の話しをきかせてくれた。まがりなりにも音に関わる活動をしている身としては、音がテーマの舞台に近藤さんも関わっていて演出は長塚圭史、共演陣もバレエダンサーの首藤康之、女優の松たか子というのは興味をそそられないはずもない。

 事前にいろいろ情報を入れてからとも思ったけど、とにかくまっさらな状態で舞台を観たいと思ったので公開されているあら筋も見ないようにしてひとりで出かけた。 今はちょっとした移動にも時間がかかるので余裕を持って劇場に行った。劇場内をギクシャク歩いていると係の人や周りの人が気を使って手を貸してくれそうになるのだが、ただ歩きづらいだけで自分的には他にどうということもなく、逆に気を使ってしまうので開場とともに席につきそのまま終わるまでじっと座っていた。 落ち着きのないほうなので自分的にはこれはかなりめずらしい。

足が気になる分余計なことをなにも考えず舞台に集中出来たので良かった。どこかに不具合を抱えて普段と違う状態にあると、いままで気付かなかった自分の癖に気づいたりする。いままではこういう時1〜2時間じっと座っているのが本当はいやだったのか、始まるまで必要もないのにロビーにいってみたりトイレに立ったりばたばた落ち着かなかったことか。

 舞台の中身についてはまだ公演は続いているし、ネタばれは避けたほうがいいので触れないが、とても見ごたえがあってよかった。特に音響まで含めた舞台装置のアイデアと使い方は見事だった。途中なぜかブラッドベリの「華氏451度」をふと思い出した。ブラッドベリよりももっと可愛らしい話しでストーリーも好みだった。 演出の妙も楽しめたし、「役者」と「ダンサー」がジャンルを超えて共演しているというところもよかった。ジャンルは違っても身体をもって表現するという部分は同じ。その共通項をうまく重ねあわせながら違いを楽しむようなところが面白い効果を出していたと思う。

 近藤さんとの出会いもあってここ数年僕の関心は、音楽のステージを超えてどんどんパフォーミング・アーツのほうへ向かっている。ああいう演出されたステージを作ってみたいと思ったりする。2008年にガーデンホールで大きくワンマンライブをやったときは限られた予算と時間の中で普通はやらないような演出をいろいろと試したけど、もっと小さな小屋でもやれることはいろいろある。一昨年の暮れにダンサーの康本雅子さんとDouble Famousで共演したような取り組みはもっとやりたいなと思う。 いろいろと刺激をもらう舞台だった。

 http://www.nntt.jac.go.jp/play/20000597_play.html