Friday, January 11, 2013

音のいない世界で

まだギプスに固められ鈍く痛む重い足を引きずりながら新国立劇場へ行ってきた。新国立へ行くのは2010年に近藤良平さんのダンス公演に参加させてもらって毎日通っていた以来のような気がするから丸3年ぶりになる。

観てきたのはやはり近藤さんが出演している舞台「音のいない世界で」。近藤さんは先日イワトの僕らのライブに来てくれた時この舞台の話しをきかせてくれた。まがりなりにも音に関わる活動をしている身としては、音がテーマの舞台に近藤さんも関わっていて演出は長塚圭史、共演陣もバレエダンサーの首藤康之、女優の松たか子というのは興味をそそられないはずもない。

 事前にいろいろ情報を入れてからとも思ったけど、とにかくまっさらな状態で舞台を観たいと思ったので公開されているあら筋も見ないようにしてひとりで出かけた。 今はちょっとした移動にも時間がかかるので余裕を持って劇場に行った。劇場内をギクシャク歩いていると係の人や周りの人が気を使って手を貸してくれそうになるのだが、ただ歩きづらいだけで自分的には他にどうということもなく、逆に気を使ってしまうので開場とともに席につきそのまま終わるまでじっと座っていた。 落ち着きのないほうなので自分的にはこれはかなりめずらしい。

足が気になる分余計なことをなにも考えず舞台に集中出来たので良かった。どこかに不具合を抱えて普段と違う状態にあると、いままで気付かなかった自分の癖に気づいたりする。いままではこういう時1〜2時間じっと座っているのが本当はいやだったのか、始まるまで必要もないのにロビーにいってみたりトイレに立ったりばたばた落ち着かなかったことか。

 舞台の中身についてはまだ公演は続いているし、ネタばれは避けたほうがいいので触れないが、とても見ごたえがあってよかった。特に音響まで含めた舞台装置のアイデアと使い方は見事だった。途中なぜかブラッドベリの「華氏451度」をふと思い出した。ブラッドベリよりももっと可愛らしい話しでストーリーも好みだった。 演出の妙も楽しめたし、「役者」と「ダンサー」がジャンルを超えて共演しているというところもよかった。ジャンルは違っても身体をもって表現するという部分は同じ。その共通項をうまく重ねあわせながら違いを楽しむようなところが面白い効果を出していたと思う。

 近藤さんとの出会いもあってここ数年僕の関心は、音楽のステージを超えてどんどんパフォーミング・アーツのほうへ向かっている。ああいう演出されたステージを作ってみたいと思ったりする。2008年にガーデンホールで大きくワンマンライブをやったときは限られた予算と時間の中で普通はやらないような演出をいろいろと試したけど、もっと小さな小屋でもやれることはいろいろある。一昨年の暮れにダンサーの康本雅子さんとDouble Famousで共演したような取り組みはもっとやりたいなと思う。 いろいろと刺激をもらう舞台だった。

 http://www.nntt.jac.go.jp/play/20000597_play.html