国会の憲法改正の議論の中で、安倍総理が「(日本国憲法は)一部の左翼的傾向の強い思想を持つGHQのアメリカ軍人の手によって作られ、日本に押し付けられた(※)」という過去の発言に対して、これは政権与党の総意であり、この説明で国民は納得していると堂々と発言していた。
たしかに、今の憲法の草案は、理想に燃えた平和主義者が米軍内にいて、彼らと日本人も参加して短期間で作った草案を、アメリカは日本にプレゼントした。というのは概ね事実だ。
国会で安倍総理は民主党の論拠を「弱々しい」と退け、自らの論調を振りかざして論破しているように見える。確かに民主党の追求は弱い。改正するのしないの、思考停止だのという言葉はどうでもいいけど、どこをどう改正するかという細かい議論までなかなか踏み込めない。与党はそれはここで議論すべきじゃないと言う。じゃあどこで議論するんだろうと思うけれども、みんながジャケットの上から蚊に刺されたところを掻くように改正するしないと議論してるのは、最終的にはもちろん憲法9条のことのはずだ。憲法の成立過程は事実だとしてもよく考えたらすごい表現の仕方をするものだなと思う。そして、この堂々たる自信を裏で支えているのはなんだろうと思った。
いくら70年前のはなしだといえ占領国の憲法を、アメリカ軍内部の「一部の左翼的な思想」を持った人間が作って押し付けられたって、首相が国会で発信することなんだろうか。自民党は歴代の総裁たちも同じようなことは言ってはいたけどここまで直接的ではなかったように思う。安倍氏のいう左翼的なというのはニューディーラー(※2)の事を指していると思うけれど、左翼じゃ悪いのか?とかいったことは置いといたとして、「一部の」とわざわざ言うからには、これが当時もアメリカの総意ではなかったと言っているわけだから、真っ向から同盟国アメリカという国の正統性を否定している。そしてそれが自民党の総意だと言う。
もしこれが原子投下は当時の一部のアメリカの急進的な軍人が〜〜〜などと発言したら大変な事になると思う。アウシュビッツと並ぶ戦争犯罪をアメリカは未来永劫正当化しなければならないから、あれがアメリカの総意でなかったとは言えないからだ。
ところが平和憲法に関しては、逆に良いことをしてくれたはずなのに、なんにも言わない。長期政権をとった日本の総理大臣は間違いなく親米的であるのに、どうしてこういう発言が可能になるんだろう?と不思議に思う。(この件に関するアメリカの反応は僕が見落としているだけかもしれないけど、そんなに報道もされていないと思うのでその程度の扱いなのか…)。
つまるところ、10年近く前に出された安倍氏のこの発言のもとになる日本の憲法改正議論について、アメリカが大して問題にせず、スルーしているように見えるのは、そこにアメリカの一環したメッセージが隠されているからなのだと思う。
それは、「あの時は平和憲法なんて押し付けて悪かった。事情が変わったのだから、もうやめよう。憲法を改正して一緒に戦争に参加しよう。」というものだ。
70年前のアメリカは、単に占領政策を円滑にするために平和憲法によって日本を縛った。マグマのように恨みのエネルギーを溜め込み、復興を成し遂げたのち再軍備して立ちはだかってくることを避けるために、平和憲法という大義名分を「押し付け」ただけなのだ。結果として日本は、その後70年間一度も国家として他国人を殺さなかった唯一の先進国になったけれど、別にそこまでアメリカが望んだわけじゃない。
ところが、今のアメリカは日本にはイスラムと戦う有志連合に参加して欲しいと考えている。あの時と違ってアメリカは1国で世界の警察となることに疲れはてていて、経済力や技術力、潜在的な軍事力に長けている日本にはアメリカの戦争をフィジカルに応援してほしい。いまさら日本が共産化してアメリカに歯向かう心配は無さそうだし、第二次大戦後当時とは事情(敵)が変わったのだから、一日も早く日本は体制を変えて対応してもらいたい。
しかし、それが出来ないように縛られているのは、その理由が他でもないアメリカ自身が「押し付け」た憲法によるものだからだ。表向きアメリカがそれを改正せよとは言うわけにはいかない。さすがにアメリカが自分であの時のアレは一部の左翼的な軍人が作ったもので、などとは言えないからだ。思っていたよりも日本人が平和憲法を頑なに守るものだから、ちょっと困っているというのは言い過ぎではないのじゃなかろうか。
アメリカは賢いので、日本に平和憲法を押し付けたことの間違いをかなり早い段階から理解していたと思う。平和憲法まで作って縛り付けなくても、天皇制を護持してあげただけで、これまた意外と日本人はそれ以上の反抗をアメリカに対してしなかったからだ。
だから朝鮮戦争後の1955年(60年も前)には早々に自民党の結党を支援して(※2)政権につけた。あまつさえその口から当時のアメリカの悪口を言わせてでも憲法改正に後押しをしている。もしアメリカが今も憲法改正を望んでいなかったら、占領国日本の総理大臣のこのような発言がスルーして許されることはない。普通は抗議してくるはずだ。
自民党結党以来の悲願、憲法改正というのはこういう構造であって、安倍首相はそれをあたかも自分の信念のように語っているけれど、結局アメリカの本音を代弁させられているにすぎないんじゃないか。「日本人の誇り」とか言えば言うほど、釈迦の手の上で暴れる孫悟空のように見える。自分の国のトップのふるまいとしてはとっても残念だ。
安倍首相が言うように、憲法を自国民の手で議論して作りなおそうという意見には別に異論はない。けれども、彼が今がやろうとしていることは、実はあの時と同じで結局アメリカの望むかたちに日本を変えようとしているだけだ。今回は「押し付けられた」とは感じさせないように、巧妙に誘導されているだけなのだ。
日本の平和憲法は、当時のアメリカの政治戦略的な思惑と、その条文作成に関わった担当者の倫理的な理想と原爆の贖罪、そしてもちろん日本人の平和への希求、それらがたまさか一致して出来上がった世界史的な奇跡で、人類史上初の快挙(今のアメリカにとっては当時うっかり認めちゃった誤り)。これは今となっては日本にとってはとても幸運なことだったと考えざるを得ない。歴史の幸福なポテンヒットとでも言えるかもしれない。
だからこそこの構造は今は絶対に崩してはいけないと思う。安倍氏は「天から降ってきたものだから指一本変えてはならない、なんてのはおかしい」と言っているけど、9条の場合は幸運にも「天から降ってきたもの」だから、変えちゃいけないのだと思う。
理想論だけでは絶対にこんな憲法は実現しないのだから、一度壊したら今後もう2度とこのような状況が生まれることは考えられない。可能性があるとすると、先の大戦よりも酷いカタルシスの後にはもう一度こういうことがあるかもしれない。しかしそれでは遅すぎる。
すでに始まっている第三次大戦の世界にあって(というより、現在の紛争の種はすべて第一次と呼ばれている戦争の時から続いているので、最初の大戦から現在まで世界はずっと世界大戦状態だとも言えるけれど)いままで誰も経験したことのないような巨大な破壊はこのままだと目前の可能性も大いにある。
だから僕ら日本人には、平和憲法を70年以上も変えずに保持してきたモデルケースとして、この奇跡を今後も守り続ける義務が、未来の全人類に対してある。と思っています。
※1)雑誌『正論(平成16年11月号)』での、安倍晋三氏(衆議院議員)、桜井よしこ氏(ジャーナリスト)、八木秀次氏(高崎経済大学助教授)の鼎談
“今こそ〝呪縛〝憲法と歴史〝漂流〝からの決別を”