Sunday, June 28, 2015

政治の季節

百田氏という人のとても僕には理解できない発言を聞いて、夜中に考えたことのまとまってないまとめ。備忘録。長いです。

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日本国憲法9条って歴史的な古い建物に似てる気がする。かつての時代の気分で作られていてとても素敵だけど現代の時代からすると使い勝手は少し悪いのかもしれない。

雰囲気は良くても古いものがあちこち現代の生活に合わないという意見が出てくるのは理解できるし、何でもかんでも保存すればよいというものでもない。ただ、世の中には一度壊したら二度と作れないものはたくさんある。時代にあわなければ東大寺もピサの斜塔も壊してガラス張りの高層ビルにすればよいのかというとそんなことはない。

日本の憲法9条は国連(連合国≠アメリカ)に押し付けられたとかいう見方もあるけど、あの純粋無垢な青年のような理想論は、人類史上未曾有の人災としての世界大戦を経験して、みんながヘトヘトに疲弊した後で、こんなことはもう2度としてはいけないという戒めを元に、アメリカ人と日本人の共通の気分の中、あのタイミングだったからこそ奇跡的に実現した人類の理想の結晶だと思う。

日本国民が自力だけで作り上げていないという意味ではイレギュラーかもしれないけど、だいたい予定調和を超えたイノベーションなんてものは事故から生まれるものだ。憲法9条は幸福な事故。進化の過程に現れた突然変異。もう一度つくろうと思ってできるものではない。

そして日本だけでなく世界中のどこの政治システムにも、情勢が硬直している今あれ以上のものを産み出せるとは思えない。もしも改良できるならそれに越したことはないけれど、どうやってもそれ以下になってしまうことが予測されるのだから、であれば憲法9条は簡単に急に改変すべきではない。というのが僕の意見。

一時期、民主党がうだうだしてて「決められない政治」っていうのが問題にされてたけど、そもそも民主主義というのはみんなの意見を尊重しようとするのだからそう簡単にものごとは決まらない。人類が発明した政治システムの中ではもっとも効率が悪いのは明らかだ。効率を求めるなら一番いいのはひとりの人間の判断とトップダウンで決められる独裁制。

独裁の判断が正しければスピーディーだし一番いい。でも、独裁者が間違った場合、あっという間に全員で間違った方向に進んでしまう。国のように図体がでかいと、途中で「あれ、まずいかも!」と気づいてもいったん動き始めたらなかなか止めきれない。そうして70年前に日本は大失敗した。だいたい政治判断が正しいかどうかなんていうことは、その瞬間の同時期にはわからなくてある程度の時間が必要だ。

でも民主主義が機能していたら、基本うだうだしてるから失敗する時も緩やかで方向転換する時間的猶予、判断の正誤を判断する時間も生まれる。効率いい(決められる)けど大失敗するかもしれない可能性を取るか、効率悪い(決められない)けど軌道修正できる可能性を取るか。自分の国がどうなっていくかを考える時に、効率よくてもイチかバチかは危険すぎる。

そんな知恵から民主主義というシステムは地球上のあちこちで、ベストではないかもしれないけどベターなものとして採用されているのだと思う。でも政治ではなく、経済効率を最大限に重視する企業ではトップダウン型のシステムが採用されていることは多い。ハイリターンがあれば、ハイリスクでも構わないという考え方をするから。国の運営とは根本的に違う。

今の自民党政権を批判する時に、軍事独裁政治と直結させて危険という意見もあるけれど、その意味での危険性というかそこまでの意識も知恵も彼らにはないように思う。彼らはファシズムに走ろうとしているというよりも、ただ単に政治にも経済効率を適用していて、手っ取り早い数値的な見返りとして経済の成長を評価軸にしているだけ。だからこそ何も考えずに理念なく暴走している中坊的状況が生まれている。しかしよく考えてみればそちらのほうが危険とも言える。ハイリターンさえ見込めれば、ハイリスクでもいいと考えるから原発だって止めないし、アメリカに追従していたほうがリターンが大きいから基地だってやめないし、戦争にも加担しようとしている。それがどれだけ国民を事故やテロのリスクに晒すことになるか。すでに沖縄の人たちはそういう状況になっているのだけど。

なぜか中枢で調子に乗って政治を語ることになってしまっているエンタメ作家や、そのともだちの政治家たちから発言される言動から長期的なビジョンや理想はまったく聞こえてこない。かつての革命家とは違って軍事的な手法を使って「までも」実現したい理想というのは特にないのだろう。彼らから発せられるのはなんとかミクスというおカネ儲けの話しと、実際儲かってるるんだからいいだろという脂ぎった態度。そして他の国に腕力でナメられたくないというヤンキー的な防衛論ばかりだ。

そもそも嫌韓、嫌中論を唱えるヘイトスピーカーが政権与党の本部でマスコミ排除してまで気勢を上げて盛り上がってるなんて、となりの学校とのケンカの相談してる中学生以下だ。そういう人たちだけで憲法改正を議論されるととても困ってしまう。

ただ、だからといって彼らの論に感情的に反応してしまってはまずい。彼らなりのスジもあるし、こちらの考え方が正しくて向こうは間違っているというような対応のしかただと結局はケンカになって決裂するだけだ。戦争反対!ってみんな言いながらそのやり方が違うといって喧嘩(=戦争)してたら本末転倒以前のギャグにもならない。

僕は韓国や中国にいる友人達のためにもヘイトスピーチなど容認できないし、そのような発言を人前でする人は正直かんべんして欲しいと思う。ただ、品がなくても人は人。センスの無い軽口や、笑えもしない冗談の揚げ足を取ることもしようとは思わない。意見の違いも表現の自由も尊重します。

でも彼らが「勝手に」そして「急に」僕らの生活の根本を変えるのは容認できない。これは絶対的に時間が必要な判断であるにも関わらず、今の政府のやり方はあまりにも急すぎる。

二度と作れない人類の理想論を70年も守ってきた日本を僕はなかなか悪くないと思っています。しかし、今の安倍政権自民党とその同調党派がやろうとしていることは、敗戦(終戦ではなく負け戦)を否定して、100年近い単位で時代を逆行しようとする行為。

タリバンやイスラム国のやり方を、ショッキングな報道を見て野蛮だとみんな思っているかもしれないけど、日本人もほんの100年ちょっと前までは首刈りや切腹もしていたし、偶像破壊(廃仏毀釈)だってしていた。100年といったら僕らの爺さん世代は覚えてるくらいの時代感です。そんな最近まで日本も隣国を挑発しては武力でねじ伏せていた、ビーバップ・ハイスクールみたいな時代がかつてはあったはずです。

本当にそこに戻っていいのかどうなのか。僕はいやだなあ。そんな世界。
人類もいいかげんおとなにならないと。

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